SHINMEI

  • シンメイ70年の歩み
70 YEARS OF HISTORY

シンメイ70年の歩み

敗戦から立ち上がった。経済危機も乗り越えた。前身の会社から数えれば70年以上にわたる、新明工業戦いの歴史を振り返ります。

高度経済成長
バブル経済
太平洋戦争
1940年代

太平洋戦争

自動車産業は必ず発展する。
焼け野原になっても
そう信じていた。

戦時中、新明工業の前身にあたる『挙母(ころも)貨物自動車運送』と『加茂自動車工業』は戦争に必要な車両を生産していました。敗戦した1945年からしばらくは乗用車の製造が禁止されていましたが、新明工業は解禁される時が必ずくると信じて生産体制を強化。見事に予想は的中し、1949年に製造が解禁されました。その後の自動車産業発展の波に乗れたのは、当時のぬかりない準備があってこそでした。

おもな出来事・結果
  • 愛知県内に軍需用車両の整備工場を増設
  • 戦局が厳しくなるにつれ増加した
    整備依頼に対応
  • トヨタ自動車工業の設立メンバーが
    取締役に就任
  • 新明工業の前身
    『挙母自動車株式会社』が設立
1950年〜1960年代

高度経済成長

空前のマイカーブーム。
車が飛ぶように売れた。
それでも油断はしなかった。

1955年に日本は高度経済成長期を迎え、好景気へと突入しました。名神高速道路、東名高速道路が開通し、それに合わせるようにマイカーブームが到来。新明工業は、乗用車の生産量を増加させたトヨタ自動車の生産設備を支え急成長しました。しかし、それで油断することはありません。自家用車や物流トラックの整備需要が高まることを見据え、整備事業にも積極的に投資。この読みが見事に的中することとなりました。

おもな出来事・結果
  • 車検義務付けにより高まった自動車整備
    需要に応える
  • 運輸大臣から優良自動車整備工場の証である
    『自動車二級重整備工場』の認定を受ける
  • 知名度と信頼を向上した結果
    トヨタ自動車の車両整備を受注
  • 社長の石河信一が天皇陛下より工業の発展に貢献
    した人へ贈られる『黄綬褒章(おうじゅほうしょう)
    』を授与される
1970年代

オイルショック

売上が3分の2に激減。
会社を揺るがすピンチさえ
チャンスに変えてみせた。

1973年に原油価格が高騰するオイルショックが発生。その影響はガソリン価格の高騰や排出ガス規制の強化など、自動車産業にも及びました。新明工業も、60億円台に達していた売上が40億円台にまで下落するなどピンチに。しかし、仕事が減ったことをチャンスと捉え、トヨタ自動車の生産ラインへの協力を強化することで、後の競合優位性につながるノウハウを蓄積していきました。

おもな出来事・結果
  • 1から図面を書かなくてもコンベアを
    生産できる体制を構築
  • 1973年に営業マン3名で名古屋営業所を
    開設
  • キャリアカー量産のための特装工場

    1977年に新設
1980年代

バブル経済

好景気に浮かれる日本。
そんな中でも新明工業は、
貪欲に成長を求めた。

バブル経済で各社が過去最高売上を記録する中、新明工業は3つの新しい挑戦を行います。それは、海外へ輸出する車両にオプション用品を取り付ける「海外架装」と、トヨタ自動車の販売計画に合わせた巨額の設備投資、そして、オイルショック以降ストップしていた人材採用の再開です。この挑戦を見事に成功させ、1985年に154億円だった売上は6年後に約2倍の271億円に。貪欲に成長を求める姿勢を崩さなかった結果でした。

おもな出来事・結果
  • 1980年と1981年に自動車の整備技能を競う『全日本自動車整備技能競技大会』で
    連続入賞
  • 品質管理活動を推進し成果をおさめたサプライヤーに贈られる『トヨタ自動車品質管理賞』の優良賞を受賞
  • 「トヨタ自動車生産方式」の本格導入により生産コストを削減&品質基準を向上
  • 1982年に古い車を忠実に復元する
    レストア作業を初受注
1990年代

バブル崩壊

盛大に弾けたバブル。
堅実な“守り”と大胆な“攻め”で
力強く乗り越えていった。

バブル経済が崩壊するとクルマは嘘のように売れなくなりました。そこで新明工業は「シンメイ」「スリム」「強靭」の頭文字を取った『SSK作戦』を打ち出します。『SSK作戦』とは、売上の確保に加え、製造にかける時間を効率化するなどして経営基盤を整える作戦です。阪神淡路大震災や極度の円高などが起きた厳しい時代でしたが、それでも赤字転落を避けられたのは、この作戦のおかげでした。また同時期に生産設備の自動化といった新しい挑戦の一手も打つことで、先行き不透明な時代への準備を整えました。

おもな出来事・結果
  • 全国展開するトヨタ自動車に合わせ1992年に北海道夕張郡に北海道工場を、1993年には福岡県宗像市に九州営業所を開設
  • ニーズが高まりつつあった生産設備の自動化を他社に先駆けて推進
  • 1996年に開発した「A級プレス品用高速積込装置」が最新技術によりトヨタ自動車の商品力向上に貢献したサプライヤーに贈られる『トヨタ技術開発賞』を受賞
2000年〜2010年代

リーマンショック

初めての赤字転落も
海外進出と
次世代自動車に欠かせない
生産設備の開発で復活の道を切り拓いた。

2008年にリーマンショックが発生。アメリカの大手自動車メーカー『ゼネラルモーターズ』が経営破綻に追い込まれ、日本ではトヨタ自動車が赤字に転落し、その影響を受けた新明工業も創業以来初めての赤字となりました。しかし、発展途上国への進出や次世代自動車の事業部立ち上げなどが実を結び、2013年には経営状況を回復。リーマンショックの他にも消費税の増税やアメリカ同時多発テロなど景気に悪影響が及ぶ事態に見舞われた時代でしたが、先駆けた挑戦で会社を存続させたのです。

おもな出来事・結果
  • 2005年の愛知万博『愛・地球博』で
    使用されたFCバス(液体燃料電池)の
    メンテナンスを担当
  • 2009年に『緊急収益改善プロジェクト』を
    発足し経営状況を改善させる
  • 2012年に安全運転を支援する衝突防止装置
    の検査のための新電子調整機を開発
2010年代

東日本大震災

震災発生から約半年後
東北に子会社を設立。
いち早く復興支援に力を注いだ。

2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。トヨタ自動車が、復興支援のために一部の生産拠点を東北へ移したことを受け、新明工業は『新明東北株式会社』を設立し、営業拠点としての活動をスタートさせました。単なる営業所ではなく子会社化したのは、“地元に根付いた企業”として震災復興に深く貢献するためです。培ってきた技術力と営業力で、経済の観点から復興支援の一翼を担っていきました。

おもな出来事・結果
  • 2011年10月に震災復興を目的に「新明東北株式会社」を設立
  • 2012年に安全運転を支援する衝突防止装置の検査のための新電子調整機を開発し、トヨタ自動車の組立工場へ納入
  • 2013年に事業の幅広さをアピールするための『第1回シンメイ製品展示会』を開催
  • 2014年にはインドネシア駐在事務所を開設してASEAN地域に拠点を拡大
2020年代

コロナショック

未知のウイルスで
世界がストップ
オンライン化へ舵を切った。

新型コロナウイルスの大流行と米中貿易摩擦の影響で部品の入手が困難となり、新明工業の受注量は減少しましたが、余ったリソースを社内業務や事業のDX化に投入。対面と電話が中心だったコミュニケーションツールをチャットアプリへ移行し、部門によって分かれていた社内システムを統一するなど、DX化を進めていきました。また同時期には非接触・非対面で車の試乗ができるショールーム『SowZow』をオープン。前代未聞のピンチをチャンスに変えるため、新しい一手を打っていきました。

FUTURE

新時代のモノづくり屋を目指して
時代より前を走り続ける。

100年に1度の大変革期と呼ばれるこれからの時代。
先人たちから受け継いだスピリットを胸に、新しい挑戦を続け、
新時代のモノづくり屋としての地位を確立していきます。